「放射線と健康」

アーネスト・スターングラス博士

Dr. Ernest Sternglass

アーネスト・スターングラス博士

WIKIPEDIA(英)

Doticon_red_NEW.gif2011/7/8に新刊が発売されました。

『人間と環境への低レベル放射能の脅威―福島原発放射能汚染を考えるために』 [単行本]

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 アーネスト・スターングラス博士は、ピッツバーグ医科大学放射線科の放射線物理学名誉教授です。
 1967年から同大学の放射線物理・工学研究所を指揮し、X線と放射線医療診断における放射線量を低減させる新しい投影技術の開発をしました。
 さらに、放射性降下物と原子炉核廃棄物による人間の健康に対する広範囲な医学的影響調査研究を行い、その結果をアメリカ議会で発表しています。
 著書に「低レベル放射能」(1972年)、「隠された放射性降下物」(1981年)、「ビッグバン以前」(1997年)などがあります。

 現在は、ニューヨークの非営利団体である放射線と公共健康プロジェクトの科学ディレクターです。
 アメリカ物理学会会員であり、以前は北米放射線学会会員でした。 2006年3月、長年に渡って低レベル放射線の危険性を訴えているアーネスト・スターングラス博士が初来日し、全国で講演会を行いました。
 スターングラス博士は、アメリカとソ連が核実験を繰り返していた冷戦当時、核実験の死の灰(放射性降下物質)による放射線の影響で世界の子どもたちの白血病やガンが急増している事実を議会で報告し、それがきっかけとなって米ソ核実験停止条約が締結されました。

以下は2006年青森市での講演記録です。


※ 画像をクリックすると拡大表示になります。


スライド 01

スライド 01 私が原子力発電所からの放射線拡散に興味を持つことになったのは、最初の子どもが生まれた時です。ピッツバーグで、ちょうど家を建てていました。
 当時は冷戦最中で、死の灰から身を守るために核シェルターを作らなければならないと言われていました。私はアメリカ科学者同盟(Federation of American Scientists)のメンバーでしたが、ずっと前から私たちは米ソ軍備競争は止めなければならないと警告していました。
 当時、政府が、核爆発を何回行いその放射性降下物(死の灰:Fall Out)がどこに行ったのかという報告書を初めて出したので、私たちはそれを調査していました。

 議会で公聴会が開かれ、その際イギリスのアリス・スチュワート博士の論文が報告されました。スチュワート博士はオクスフォード大学で、イギリスの子どものガンや白血病が急増している原因について研究していました。
 彼女はガンや白血病になった子のお母さんのグループと健康なこどものお母さんのグループに100の質問アンケートを送りました。アンケートを回収すると驚いたことに、10歳未満のガンや白血病の子どものお母さんたちが妊娠中にエックス線を浴びていたことがわかりました。それが、わずかな放射線でも人体には影響を与えることの初めてヒントになりました。つぎのグラフがその研究結果です。

 スチュワート博士が発見したのは、数回のエックス線照射でガン発生率が倍増することです。この際、1回のエックス線の放射線量とは、自然界の環境放射線の約2年分に相当します。この放射線量というのは、大人にガンを発生させる量に比べるとその10分の1から100分の1に相当します。赤ちゃんや胎児は100倍も影響を受けるのです。また妊娠3ヶ月未満にエックス線を浴びたお母さんの子どもの幾人かは、ほかのお母さんのこどもより10〜15倍ガンの発生率が高かったのです。

 政府は(核戦争があっても)核シェルターから出てきてもまったく安全だと言いましたが、それは1000ラッドの放射線量の環境に出てくるわけです。それはエックス線を数千回浴びることに相当するわけですから、子どもたちが生き延びることは不可能です。
 ですから、このような人類の惨禍を防ぐために核兵器を廃絶しなければなりません。それで、私は、核実験の後のアメリカの子どもたちにどのような影響があるのか調べ始めました。




スライド 02

スライド 02 この図は、乳児1000人に対する死亡率を示しています。
 年ごとに始めは下降していきますが、途中で急に下降が止まります。それはネバダの核実験が始まったときです。それ以降、核実験のたびに乳児死亡率も合わせて上昇しています。これは米ソ英による大気核実験停止条約が締結される1963年まで続きます。
 しかし、中国とフランスは核実験をつづけました。1961年に北シベリアでソ連が5000万トンのTNT爆弾に相当する巨大な原爆実験をしました。広島原爆は1万キロトンTNTでした。広島の5千倍の威力の原爆です。これは北半球に住む人間全員に腹部エックス線照射をしたことになります。これから世界中の子どもたちにガンや白血病が発生することが予想されます。

 そしてその後、実際にそうなりました。私は核実験を止めないと世界中の子どもたちにガンや白血病が発生することになるとサイエンス誌で警告しました。幸いなことに当時、ソ連のフルシチョフ首相と核実験停止条約を結ぼうとしていたケネディ大統領のもとで働いていた友人がホワイトハウスにいました。
 しかし、条約が締結されるには議会の上院での承認が必要です。そこでケネディ大統領はテレビとラジオで演説し「われわれの子どもたちの骨に含まれるストロンチウム90や血液中の白血病細胞をなくすために核実験をやめなければいけない」と国民に呼び掛けました。するとたくさんの女性が乳母車でホワイトハウスを囲んだのです。また上院議員たちに手紙を書き、電話をしました。

 私は議会で証言する必要があると言われました。それから約1ヶ月後の8月にワシントンに行って議会で証言するようにという手紙を受け取りました。幸いにも、ハーバード大学のブライアン・マクマーン博士がスチュワート博士と同じ研究をアメリカ国内で行っていて、同様な結果を得ていました。
 エドワード・テラー博士が、核実験は継続するべきだと証言しましたが、合衆国上院は条約批准賛成の投票をしました。
 すると幸いなことに、その後乳児死亡率が下がったのです。しかし、すべての州でベースライン(核実験がなかった場合に予想される乳児死亡率)に戻ったわけではありませんでした。



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スライド 03

スライド 03 多くの州では乳児死亡率の下降が止まってしまいました。ベースラインとの差がまだありました。




スライド 04

スライド 04 乳児の死亡の主な原因は、多くの場合、出産時の体重が平均よりも低体重(2キロ以下)であることが考えられます。乳児の低体重率は条約締結後に低下し、そのまま降下するはずでした。
 しかし、2つのことが起こりました。
 ペンシルバニアでスリーマイル島事故と呼ばれる大きな災害が起こりました。ハリスバーグ近辺の原子力発電所の原子炉事故です。その後しばらくして乳児低体重率の下降が止まり上昇し始めました。
 それから1986年のチェルノブイリ原発事故です。それによって放射性降下物質が世界中に広がりました。
 低体重率はその後上昇し、大気核実験が行われていた時期と同じレベルに戻ってしまいました。このころから明らかになったことは、放射性降下物(Nuclear Fallout)が、原子炉事故と原子力発電所の通常運転による放出にとって替わられたと考えられることです。




スライド 05

スライド 05 低体重で生まれた子は、深刻な知的およびほかの肉体的な問題を抱えています。とくに初期の学習能力障害や後期の精神障害などです。
 この表はたくさんの原子炉がある州(ニューヨーク、ニュージャージー、イリノイ、フロリダ、カリフォルニア)と無い州との(乳幼児死亡率)比較です。
 ご覧のように核実験中は下降が停止して横ばいになっていますが、(核実験が終わっても)もとのベースラインに戻ることはありません。ところが原子力発電所が無いネバダでは核実験が終わるとベースラインに戻っています。ほかの原子炉が無いニューメキシコ、ケンタッキー、ワイオミングなどの州も同様です。
 これは、原子力発電所の原子炉が関係していることを示す非常に明確な証拠です。



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スライド 06

スライド 06 われわれはこのことを確証するために他の証拠を探しました。
 1935年から乳幼児死亡率は年率約4%ほどで下がって行きます。それはベースラインにそって下がっていくはずだったのですが、上昇し始め、核実験期間中に1958年にピークになり、その後下がって行きますがベースラインまでに戻ることはありませんでした。
 その結果、「なにも無ければ」という想定数値に比べ100万の乳児が死んだことになります。




スライド 07

スライド 07 重要なことは、アメリカ国民全員が被曝している事実です。
 この図は7、8歳になったこどもから取れた乳歯に含まれているストロンチウム90の値で、骨に蓄積していることがわかります。
 この表から60年代前半に、乳歯中のストロンチウム90が環境中のストロンチウム90の値を反映していることがわかります。
 核実験が終わると下降しますが、その後、下降が止まり横ばい状態になります。ちょうどこの頃、アメリカでは大規模な原子力発電所が操業開始しました。それは日本も同じです。
 それ以降80年代中頃になっても横ばいが続きます。そして最近になってまた上昇し始めました。
 このことからも、一見何も無いような平和的な原子力発電所の日常運転による放出も、核実験中と同様に、ストロンチウム90の原因であるという重大な事実がわかります。
 86〜89年に少し減少しているのは原子力発電所の稼働率減少や閉鎖されたことによる影響でしょう。
 重要なことは、その後数年にわたって上昇しつづけていることです。
 また、ガンになった子どもにはガンにならないこどもの倍のストロンチウム90があることが分かりました。




スライド 08

スライド 08 これまでに、私たちはほぼ5000本の乳歯を調査しました。この表からも、どうしてこのようなことが起きているのかを理解することができます。
 これは政府が発表したミルク中のストロンチウム90の値です。コネチカットのミルストーン原発からの距離との関係を示しています。
 この原発から数マイル(1マイル=1.6キロ)以内に住んでいる人たちのレベルは、大気核実験中の時の最高値よりも高くなっています。
 それと同じ原子力発電所がある日本では、なにも危険なものは出していないと言われています。これはジェネラル・エレクトリック(GE)の原子炉です。表から、100マイル(160キロ)離れていてもミルク中には高いレベルのストロンチウム90が含まれていることがわかります。
 多くの原子炉を抱える日本ではその周囲が非常に放射能汚染されていることが予想されます。



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スライド 09

スライド 09 この表から、1970年から1975年にかけて、ガン死亡率が原発からの距離に比例して低くなっていることがわかります。
 原子炉があるところでは、わずか5年間で58%死亡率が上昇しました。これから、ガンが原子炉からの核物質放出を明瞭に反映するインジケーター(指標)であることがわかります。
 しかし、今だに「原子力発電はクリーンだ」と宣伝されています。放射能は見えない、臭わない、味もしないからです。理想的な毒です。




スライド 10

スライド 10コネチカットでは1935年からの甲状腺がんのデータがあります。甲状腺がんに罹ったひとは政府に報告する義務がありました。これは死亡率ではなくガン発生率です。
 1935年〜1945年では変化がなく、むしろ減少経過があります。そして医療の向上や改善によってさらに減少するはずでした。
 しかし1945年からわずか5年間で3倍にもなります。そして大気核実験のピークから5年たった1965年に再び上昇します。 
 また、大きなミルストーン原子力発電所が稼働し始めてから5年後に急激な上昇がはじまります。
 チェルノブイリの事故から5年後に大きな上昇が起こります。

 ここで重要なことは、甲状腺ガン発生率の増大が医療の向上を反映していない事実です。ガン発生率が0.8から4.5に5倍も増大したことは統計的にも小さな変化ではあり得ません。




スライド 11

スライド 11 これは同地域の乳がん発生率です。同じように1935年から1945年までガンの発生率は上昇していません。
 実際、多少減少傾向にあります。そして核実験中に上昇し、1967年にコネチカットで最初のハダムネック原子炉が稼働すると急激に上昇します。
 1970年にミルストーン原子炉が稼働するとその5〜8年後に大きく上昇します。
日本でも同じような研究をすべきでしょう。



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スライド 12

スライド 12 政府は「肺がんやその他の病気は喫煙が原因だ」とみなさんに信じてほしいと思っています。
 大規模な核実験が終わった1961〜62年から1990年までに、18歳以上の女性の肺がん死亡率は5倍以上になっています。
 実際には女性の喫煙率はどんどん落ちているのです。




スライド 13

スライド 13 世界中の政府や国際原子力安全委員会などは「放射能による影響はガンと子どもの先天性障害だけだ」とみなさんに信じ込ませようとしています。
 しかし実はさまざまな面で健康に影響を及ぼしているのです。

 乳児死亡率や低体重児出産のほかに糖尿病があります。
 1981年から2002年の間にアメリカの糖尿病罹患者は580万から1330万に増加しました。それと同時に原子力発電所の稼働率は40〜50%から92%に増大しています。(注:アメリカ国内の原子力発電所の建設は1978年以来ないので稼働率が発電量を反映する)
 原子炉の検査やメンテナンスや修理の時間がより減少してきたことがあります。その結果、振動によってひび割れや放射能漏れが起きています。

 1959年ドイツのスポーディ博士などのグループがストロンチウム90をたくさんの実験動物に与えました。それらは当初カルシウムのように骨に蓄積すると予想されていたのですが、実験室がイットリウム90のガスで充満していることを発見しました。イットリウム90は、ストロンチウム90の核から電子がはじき出されると生成する元素です。このようにストロンチウム90からイットリウム90に変換します。
 そこで実験動物の内蔵を調べた結果、ほかの臓器にくらべ膵臓にもっともイットリウム90が蓄積していることが判明しました。
 また、肺にも蓄積されていましたが、それはラットの肺から排出された空気中のイットリウム90をまた吸い込んだためだと考えられます。
 膵臓はそのβ細胞からインシュリンを分泌する重要な臓器です。それがダメージを受けるとタイプ2の糖尿病になり、血糖値を増大させます。膵臓が完全に破壊されるとタイプ1の糖尿病になり、つねにインシュリン注射が必要になります。おもに若年層の糖尿病の5〜10%はタイプ1です。
 アメリカと日本に共通していることですが、ともに膵臓がんの数が非常に増加しています。



スライド 14

スライド 14 アメリカの普通死亡率推移(1900〜1999)。
 これは乳幼児死亡率、肺がん、膵臓がん、乳がんなどすべてのガン、糖尿病などのすべての死亡率(1000人中)の総計です。
 1900年から1945年までは年率約2%で死亡率が下がって行きました。
 唯一の例外は1918年に世界的に流行したインフルエンザの時です。このときはアメリカも日本も世界中が影響を受けました。

 この間ずっと、化学物質や喫煙率も増えているのにもかかわらず、死亡率は減少しています。それはネバダの核実験が始まる1951年ころまで続きます。
 そして核実験が終わって少し下がりますが、やがてほとんど下がらずに横ばい状態が続きます。
 予想死亡率減少ラインから上の実際の死亡率ラインとの比較から、アメリカでこの間2000万人が余計に死んだことになります。
 広島や長崎で死んだ人の数よりはるかに多くの数です。


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スライド 15

スライド 15 これは日本の膵臓がん死亡率のチャートです。
 前述したように、1930年から1945年ころまでは低く、まったく変化がありません。
 しかし、1962〜63年ころまでには12倍に増加しています。これは東北大学医学部環境衛生の瀬木三雄博士たちの1965年のデータです。

 これからお話しすることは本当に信じられないことです。
 この12倍になった死亡率が、2003年までには、さらにその3倍から4倍になったのです。
 ストロンチウム90やイットリウムが環境に放出されることがなければ、膵臓がんの死亡率は減少していたでしょう。
 アメリカでは約2倍になっています。




スライド 16

スライド 16 これは同じ東北大学のデータで、日本の5〜9歳男の子のガン死亡率チャートです。
 1935年から1947年までは、実際に死亡率が減少しています。
 それ以降、ソ連の核実験やアメリカの太平洋での核実験が度重なるにつれ、6倍に上昇しています。
 そして、これ以降もさらに増加していることがわかっています。

 これらのデータは政府刊行物である「人口動態統計」からとりました。このような詳細にわたる統計は世界でもいままで見たことがありません。



スライド 17

スライド17 スライド 17 スライド 17  同様に東北大学のデータです。これはアメリカ(非白人)と日本の男性のガン死亡率を比べたものです。

1920年から1945年まで、この間、喫煙率や化学物質の量が増加し、また石油、ガス、石炭の消費量増加による大気汚染も増加しているにもかかわらず、日本ではほとんどガンの増加はありません。非常に重要なのは、このことを理解しないと放射能を理解することができません。
 1945年以降ガン死亡率が急に上昇し、1962年にまでに42%増加します。
 それ以前にアメリカと日本で少し減少したところがありますが、これは核実験を一時停止した時期です。

 これらは核降下物の低レベル放射線が原因であることの強力な証拠です。
 しかし、政府は、その量があまりにも低すぎて検出できないと主張しています。



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スライド 18

スライド18  これは1970年以降の日本の原子力エネルギー生産量を示したものです。一時増加が止まった時期もありますが、最近では急激に上昇しています。これは原子炉の稼働率をなるべき上げるようにしているからです。アメリカも同じです。



スライド 19

スライド19 1950年から2003年までの、さまざまなガンによる男女別死亡率の推移です。
これを見るとわかるように、1970年ころから急に上昇し始めますが、1950年ころからすでに上昇し始めています。
もっとも増加したのは男女とも肺がんです。大腸がんは女性の方がやや高いですが、やはり急激に上昇しています。膵臓がんは1962年までにすでに12倍に増えていますが、さらに大幅に上昇しつづけています。

 このことから、日本になぜアメリカの倍の糖尿病があるのかという説明になります。



スライド 20

スライド20 1899年から2003年までの主要死因別死亡率の推移です。これは男性女性を合わせたものです。
 1900年代初頭は世界的な疫病が流行し、1918年に肺炎死亡率がピークになってやがて降下していきます。
 抗生物質の出現で肺炎を含む感染性疾患は1990年ころまでに減少します。
 ではガンはどうでしょう。現在日本中の最大の死亡原因はガンです。

 東北大学の瀬木博士が指摘しているように、1962年ころまではガンの大きな増加はありません。
 それまでの感染症(伝染病)が増加した20〜30年間にガンは多少増加していますが、これはガン全体の20%がバクテリアやウイルス感染に起因することが影響しています。感染症が横ばいになると、ガンも同様に1945年まで変化しません。

 その後1947年ごろから急激にガンが上昇し始めます。
 そして1966年商業用原子力発電所の放出が始まるとさらに上昇します。

 もし、これらが核実験によるものであるのなら減少していかなければならないはずです。ところが実際には、ガンの早期発見や治療法の向上にもかかわらず、ガン死亡率は増加しつづけています。

 1990年代はじめから急激なガン死亡率の上昇が見られます。
 このときに放射性物質を含む劣化ウラン兵器がアフガニスタン戦争やイラク戦争で用いられました。それが世界中を回っているのです。

 ですから、平和的な原子力発電所の放出から平和的な劣化ウラン兵器に置き換わったわけです。安すぎて計量できないと言われたクリーン原子力エネルギーのおかげというわけです。


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スライド 21

スライド 21 1899年から2003年までの死亡数と死亡率の推移です。
世界的なインフルエンザ大流行の時期に大きなピーク(1918年)があります。
その後下降し、広島・長崎原爆後も、また核実験が終わったあとでも下降しています。

 それは、その後もそのまま下降するはずでした。ところが1970年ごろから下降が止まります。そして1990年ころになって、1918年以来はじめて上昇し始めます。
 これから国の医療費の負担が、いかほどになったか想像できるでしょう。国の将来を担う新生児が影響を受けているのです。

 赤ちゃんだけではありません。死ななくともいい人びとが多く死んでいるのです。
 巨大な軍事費の代わりに、あなたの国はなんとか死亡率を下げようと巨大な医療支出を被っています。
 どなたか広島・長崎以降の国家医療費の総計を、原子力発電所の推移とくらべて調べてみるといいでしょう。

 これが私のみなさんへのメッセージです。
 民主主義のもとで選ばれた、みなさんを代表する議員たちにこのことを伝えてください。
 私たちがホワイトハウスを乳母車で囲んだように、みなさんも乳母車で国会を囲んでください。

 ありがとうございました。


訳文責:森田 玄(ハーモニクスライフセンター)

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